2016年08月

2016年08月23日

台風キター!

「ちょっと川の様子見てくる」

は台風など暴風雨の時の

定番の死亡フラグですが 

(他に「海の」「用水路の」「田んぼの」等々) 

昨日(8月22日)はまさにそのフラグが立ちました。

配達先は川沿いで、
嫌がおうにも「川の様子を見る」羽目になるのですが

その川が見事、氾濫危険水位を叩きだし

周辺地域は当然

避難準備地域
に指定されました。

ちなみに我が局は地下が浸水しました。

それでも台風通過直後に管理者の判断で
配達業務続行。

郵便は切手貼付の類、会社関係、
入力物はa●azonやTU●AYAを優先。

なんでa●azonやTU●AYAの配達に

かけなきゃならないんだよ。


そもそも料金順で行けばせめて優先は書留類だろう。
TU●AYAが一通いくらだと思う?

切手貼付って言っても即刻必要な重要信とは限らず、
後納・別納の方が受取人にしてみたら重要な場合もあります。
つか、官製ハガキなんて私信がほとんどで
別段急ぎでもないだろうに。

(未だに「官製」ハガキって言うのも妙な話ですね)

台風が通過した後でも
土砂はゆるゆるなまんまだし
川の水位がいきなり下がるわけではないし
高架下などの土地の低いところは浸水してる場合もあるのに

そのあたりの危険個所の配達は
配達員の各自の判断にゆだねるという
自己責任論。
場合によっては持ち戻れ、と。

配達行けって言われたら
完配しようと意地になるのが
郵便屋の性ってもんでしょうに。

まあ結局、川は依然濁流が渦巻いておりましたが、
台風が通過後は特に雨も降らずに
道路は土砂が堆積しているところはあったものの
配達に支障が出るレベルではなかったので
判断としては間違っていなかったかもしれません。

実際に配達員が出る前に
管理者が外に出て様子を見てきたことで、
より適切な判断が下せたのだと思います。

管理者が机に座ったまま
「行って来い」じゃないですからね。


3.11の時に三浦半島の方で
津波による避難勧告が出ていた地域に
再配達行かされた局員もいたので、
まだかなりマシなんでしょう。

でもなあ、なんだか納得いかない。

配達に出られるまで待機。

朝8時に出勤して15時まで待機。

11時くらいには配達原簿整理も終わり
転居システムのパソコンが全部ふさがっていた為
あぶれて手持無沙汰になっている局員が多数。

そこまでして配達しなければならなかっただろうか?

これは郵便局に限った話ではなくて
こういった災害時に確実に交通機関がマヒするであろう中、
それでも出勤する日本人は外国の方からすると



なのだそうです。

そりゃそうだ、帰れる保証もないのだから。



大変な思いして出勤する俺

嵐の中仕事するカッコイイ俺

帰れる保証はないけど

会社のために頑張る俺

に酔いたい

意識高い系(笑)

はいいのかもしれませんが。

日本人てそういうの好きですよね。
自己犠牲の精神とでも言うのでしょうか。
企業も割かしそういうところ求めている部分ありますよね。

普段の通勤経路がだめなら迂回して来い!

とりあえず会社には来い!

その姿勢が大事!

なんでそこまでして会社に行かなきゃならないのか。

例えば、自分が伝説の勇者で、

午前八時までにタイムカードを押さないと

世界が滅びるという

予言でもあれば
そりゃ這ってでも会社に行きますけど。
(どういう勇者だ)


災害の中でも通勤するだけで
評価が上がるならちょろいもんでしょうが
日本では通勤困難状況でも出勤するというのは
デフォルト、標準装備、当たり前。

日本人の真面目な気質故の考え方なのかもしれませんし、
その気質があったからこそ敗戦からの復興、
高度経済成長を成し遂げることが出来た部分は否めません。

でもそういう気質に付け込んで
ブラック企業が蔓延している部分もあるし
長所は短所と言ったところでしょうか。

以上、台風通過直後の現場からでした。

 

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blackkings at 07:48|PermalinkComments(1)TrackBack(0)仕事 

2016年08月20日

1945年8月20日

交換台にも弾丸が飛んできた。

もうどうにもなりません。

局長さん、みなさん…さようなら。

長くお世話になりました。

お達者で…。

さようなら。



この通信が真岡郵便局・高石班の最後の業務記録でした。


関連記事 

彼女たち9人がどう死んでいったかではなく
最後までどう生きたかを
どうか覚えておいていてください。


歴史は勝者が作ると言いますが
ひょっとしたら、勝者の尻馬に乗った連中が作るのかもしれません。
ソ連軍による樺太侵攻で亡くなった民間人は
「三船殉難事件」を含めると約3700名にのぼります。

しかし、「終戦後」の侵攻であるが故、
太平洋戦争での地上戦による民間人犠牲者とはされません。
おそらく、学校の歴史の授業で教わることもない「歴史」です。

前の記事で、「白旗の少女」比嘉 富子さんは
「写真の後方に写っている日本兵が彼女を盾にしている」
という嘘に大変心を痛められたと聞きます。

この「嘘」を一部の教育現場でも
真実のように教師が語ったそうです。

反戦は当たり前の話で、誰もが賛同しますが、
その主張の為に事実を捻じ曲げたり、
事実を隠ぺいすれば、その主張そのものが
信用されないでしょう。

白旗の少女の事実を捻じ曲げた連中や、
ソ連軍樺太侵攻を伝えようとしなかった連中は、
当事者の方々に謝罪はしたのでしょうか?

これからはせめて、当事者が知る通りの、
なんの政治的な思惑も介入しない事実を
伝えていかなければなりません。

それだけが、戦争を知らない我々が出来る
あの戦争への責任の果たし方だと思うのです。 

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blackkings at 08:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)政治・経済 

2016年08月15日

二人の少女の写真

あれは銃かもしれないー。

違う時代、違う国で撮られた2枚の写真。

被写体となった少女たちは、同じことを考えていました。

The_girl_with_the_white_flag,_John_Hendrickson

1945年6月25日に撮影された写真。
「白旗の少女」として有名なこの写真の被写体となったのは
比嘉 富子さん。

当時わずか7歳の少女でした。

写真を撮影したのは米軍のカメラマン。

カメラを構えた米兵を見て

「カメラのようだけど、銃かもしれない。」

富子さんはそう考えました。

そして、彼女は笑って、手を振りました。

「泣きっ面を見せないで、最後は笑って死になさい」
という、お父様の教えを思い出したからです。
7歳の少女が死を覚悟して笑顔を見せているのです。

その瞬間を写したのがこの写真です。


この写真から70年後。 
FOREIGN201504020829000479824139102
2015年に撮影された写真です。
撮影したのは報道カメラマン・オスマン・サーリ氏(Osman Sağırlı)。
被写体となっている少女は
シリアの難民キャンプに暮らすフデアちゃん
(Hudea)4歳。
カメラを向けたところ、望遠レンズを銃と勘違いして、
撃たれまいと手を上げてるのです。

まだたった4歳の子供が銃口を知っている。
そして、咄嗟にこのように手を挙げるように身についているのです。

フデアちゃんは写真では強張った顔をしています。
しかし、本来はとても愛らしい顔立ちをしています。
きっと子供らしい、かわいらしい笑顔をするだろうに、
彼女の置かれた環境では、それも許されないのです。

戦争は一番弱い立場の人間が一番傷つきます。
それは子供たちです。
子供は未来そのもので、希望そのものなのに。

第二次世界大戦が終結して70年以上経過しても尚、
子供たちが銃口におびえているのが現実です。
 

一体いつになったら世界中のすべての子供たちが
何の心配もせず、カメラに向かって
心からの笑顔を見せてようになるのでしょう。


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blackkings at 12:00|PermalinkComments(3)TrackBack(0)政治・経済 

2016年08月11日

風林火山


疾きこと 風の如く


 加害者に即座に弁護士をつけ


徐かなること 林の如く


 「人の噂も75日。余計なことは言わないように」



侵掠すること 火の如く


 県境を越えて神奈川にまでかん口令を敷き



動かざること 山の如し


 未だに組織として謝罪会見の一つも開かない。


しかしながら、彼らの思惑通り、彼らの都合よく事が運ぶほど
日本の司法制度は甘いはずもありません。

悪質なひき逃げ事件が罰金刑で済むわけもなく、
7月29日に起訴され、9月には公判開始と、
話しは75日どころではなくなりました。

7月29日には甲府駅近くで郵政ユニオンが
今回のひき逃げ事件の対応について
抗議のビラを配布。
パフォーマンスだけであっさり退くなんて真似は勘弁してほしいところです。
郵政ユニオンは詰めは甘いけど
筋は通っているから大丈夫だろうとは思いますが
ただ、この前の参院選ではJP労組と共闘する場面もありましたし、
藤沢(湘南)のユニオンが解散、JP労組と合流している点を考えると
もしかしたらJP労組に手を引くように忠告されたら
そのまま引いてしまうのでは?
しかし、郵政ユニオンがJP労組のいいなりに
なることはまずないと思います。
そうなってしまったら郵政ユニオンの存在意義は
全くなくなってしまいますから
最後まで追及してほしいものです。 

通退勤途中に部下が起こしたひき逃げ事件であるにもかかわらず
加害者の直属の上司をはじめとする
当局側がどこか余裕こいてるのは
いざとなれば責任転嫁できる「あて」があるからでしょう。

たとえば、当局とは直に関係ない「同乗者」がいたとか。
いざとなればその「同乗者側」に責任を押し付けることが出来ます。

通退勤途中ではあっても、同乗者送迎の為に
本来の帰宅ルートを外れており、
会社の管理外で起きたことで、ほぼプライベートと言っていい
・・・などという認識で

プライベートでの事故

と周知したのかもしれません。

ちなみにこの加害者の直属の上司、
私と同じ局に課長(現在の部長)いた時
既婚女性のバイトさんとイチャコラしてました。
その女性も本命は別の若い独身の課長代理(当時)で、
二人でよく旅行に行ってましたねえ。
彼女の仕事ぶりはまあ、お世辞にも褒められたものではなかったようですが、
課長と課長代理がバックについてるからやりたい放題だったようです。

つか、ぶっちゃけいつ仕事してたんだ?

その「彼氏達」も次々と異動になり、
私も異動したので彼女がまだ好き放題やっているのかは知りませんが。

まあ爛れた話はこれくらいにしましょう。

書いてて吐き気がしてきた。


「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」

甲斐の名将・武田信玄が旗印に用いたことで有名なこの言葉は
孫子の兵法の軍の組織の進退について書かれた文章の抜粋で、
実際は孫子の文章では「難知如陰」「動如雷霆」が加わります。
風林火山の四つではなくて
「風」 「林」 「火」 「陰」 「山」 「雷」

なんですね。(本によっては『山』と『陰』が逆の場合もある)

あまり知られてないようです。


それゆえか(?)



知り難きこと陰の如く

知り難きどころか、わかりやすい隠ぺい工作が露呈。



動くこと雷霆の如し


稲妻の如く司法が動きました。



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2016年08月07日

リオだ!五輪だ!!修造だ!!!

連日暑いですね。

昨日配達中にアブラゼミが肩口に止まりました。
まあバイクで走ってればそのうちどっか飛んでいくと思ったんですが、
そのアブラゼミの野郎、

特に慌てる様子もなくそのまま平然と肩に止まったまま

鳴き始めました。

いやこれがうるせえのなんの。

虫の声に情緒を感じるのは日本人くらいで
欧米人にとっては騒音でしかないそうですが、
日本人でもこれはうるさい。

人をなんだと思ってんだこのセミは。

こっちも意地になりまして追い払わずに15分くらい
肩にアブラゼミ(絶賛大鳴き中)を装着したまま配達してました。
指先でつついても逃げやしない。
こんなに近くでセミを眺めるのも子供時代以来です。

・・・セミと目があったのは人生初めてですが。

結局こちらが根負けして肩から引っぺがして近くの木のそばで
放してやりました。

ふつう指でつつけば逃げると思うんですけど、
暑さでセミも判断能力が鈍っていたのでしょうか。

そんな配達を終えて食堂で昼食を取っていると
テレビでリオ五輪の開会式をやっているじゃありませんか。

リアル修羅の国

・・否、ブラジルで開催されるオリンピック。
開催前から治安の悪さと準備不足が指摘されていましたが
とりあえず開催は出来たんですね。
開会式で日本選手団は選手さしおいて
JOCの役員が先頭集団を形成していて、

ああ、日本らしいなと思いました。

日本の悪い慣習が世界に露呈しようと、
治安が悪かろうと、準備不足だろうと、
日本の応援団長であるあの男はひるみません。

そう、「歩く真夏日」松岡修造!



この前テコ入れ案で「役員氏に松岡修造について語ってもらう」
と書いたところ、本当に役員氏が原稿を書いてくれました。

【役員氏特別寄稿】

~テニスプレイヤー松岡修造について~


私があの暑苦しい松岡修造もついて語るコーナーがありましたので、
遅くなりましたが彼の偉大さを語ってみます(笑)


 松岡の世界ランキングは46位(キャリアハイ)です。
私がテニスをしていた90年代から現在まで近代テニス25年間に
日本男子のテニス界で世界ランキング50位以内に入った選手は
在活躍中の錦織選手を除けば松岡修造だけです。
戦前の選手では上位の選手がいますが、あまりに古いので比較対象から除外しました。


 日本の男子テニス界は現在、錦織選手の活躍もあり、
松岡がプレーしていた時代よりも高いレベルです。
現に国別対抗戦(デビスカップ、女子はフェドカップ)において
日本はワールドグループにいますが、
松岡の時代はアジア・オセアニアゾーンでした。
ワールドグループを1軍、アジア・オセアニアゾーンを2軍と
考えていただければわかりやすいかな。


それでも世界ランキング50位以内の選手は
今なお錦織選手以外に
いないことを考えると
松岡の成績は素晴らしいことがわかります。

松岡の時代は伊達公子をはじめ女子選手が
世界ランキング30位以
内に5人くらい入っていましたから、
男子の低迷ぶりが顕著で、
松岡は男子テニス界で孤軍奮闘していましたね。


テニスの4大大会(グランドスラム)は全豪、全仏、全英(ウインブルドン)、全米です。
このうちウインブルドンでの最高成績は松岡修造のベスト8で、これは錦織選手も破っていません。
残りの全豪、全仏は錦織選手がベスト8、全米は準優勝が最高です。
松岡のサーブは200キロ以上出ていましたので、
コートが芝で行われるウインブルドンではビッグサーバーが有利です。



錦織選手は現在世界ランキング6位と松岡より遥かに上の舞台で活躍しており、
日本のテニス界は「錦織フィーバー」
で沸いていますが、
私は日本のテニス界の将来を楽観視できません。


というのも松岡修造はテニスの名門校である福岡の柳川高校に入学し、
高校でのタイトルを総なめにし、プロに転向しましたが、
それでも世界ランキング50位以内に入るのががやっとでした。
錦織は13歳からアメリカにわたり、アメリカで腕を磨いて現在の位置にいることを考えると、
日本の学校教育を経てプロになっても世界の舞台で戦うには限界があるということです。
世界で活躍するテニスプレーヤーになりたければ
日本にいてはだめ
という現実を突きつけられると暗い気分になるのは私だけでしょうか。


まとまりのない文章になってしまいましたが、
暑苦しい雰囲気マンマンの松岡修造が選手として実績がわかっていただければいいですね。

テニスで世界で有名になるならば、蓮舫議員の「2位じゃだめなんですか?」
ならぬ日本にいてはダメなんです(笑)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 松岡修造ってすごいんだなあと思うと同時に
役員氏も半端ない知識ですね。

あの松岡修造の暑苦しさはその実績に比例していると考えたら
もっと暑苦しくても・・・いややっぱり

勘弁してください。

日本は早くも(8月7日現在)
競泳男子400メートル個人メドレーで
萩野公介選手が金メダル獲得。

私はスポーツはやるのも知識もからっきしですが、
日本国民として日本選手団を応援したいです。




 


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blackkings at 14:45|PermalinkComments(3)TrackBack(0)雑談