藤沢局もらい事故退職強要事件(3月6日追記あり)祝!当ブログ、ついに箝口令の対象になる!!

2017年03月10日

鴻爪痕

とある方の墓所にお参りしました。

場所は神奈川県横須賀市芦名・浄土宗 浄楽寺。
運慶作の国指定重要文化財「阿弥陀三尊像」
「不動明王立像」「毘沙門天立像」が祀られています。

逗子駅からバスで「長井」行か「横須賀病院」行で
「浄楽寺」下車。
KIMG0363

ピンときた方もおられるでしょう。


ここに眠るのは前島 密。
前島公は晩年をこの地で過ごしました。

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↑これは夏に墓参した時の写真です。
天気がいいとお寺の近くの海岸から富士山が見えます。

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前島公は「自分の墓はいらない」とおっしゃっていたそうですが
仲子夫人に先立たれた後にこの墓を建てたそうです。


日本郵便の父、前島 密。
「郵便」「切手」等の今や当たり前の単語は前島公が制定されました。

明治維新の綺羅星のごとき英傑たちの中では
地味な印象の前島公ですが
近代日本を形作った立役者と言っても過言ではありません。

ところで、明治政府で個人的に驚かされたのは
敵側である「幕臣」を重用した点です。
戊辰戦争・五稜郭で旧幕府軍を率いていた榎本武揚をはじめ
明治政府の官員の3分の一にあたる1755名は旧幕臣でした。
もちろん高官は「薩長土肥」の人間が占めましたが
のちに榎本武揚は逓信大臣など大臣を歴任しています。

これはやはり、現場で指揮をとれるのが旧幕臣の方だったからでしょう。
そして前島密公も幕臣でした。
大久保利通らの「大阪遷都」に対し「江戸遷都」を建白したのも前島公です。

その他、郵便だけでなく電話事業、鉄道、
さまざまな会社の設立にも関わっており、その中には
日本通運(当時は陸運元会社)も含まれています。
また、盲学校の設立にも貢献しました。

今に続く各制度の父であり、近代国家・日本を
形作った稀代の才能を持つ方ですが、
政争には参加することはありませんでした。

故に地味な印象になってしまっています。



「縁の下の力持ちに

 なることを厭うな。

人のためによかれと

願う心を常に持てよ」


その「地味さ」もこんな言葉を残した前島公らしさなのかもしれません。

さて前島公、その実績もさることながら
英語はペラペラ、漢詩は玄人。
天が二物も三物も与えたような方です。
もちろんご本人の努力や人柄がその裏にあります。

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浄楽寺にお参りしたことのある方ならご存知でしょうが
前島公の墓所に向かう道のわきに小さな池があります。

墓参を終えてその池のわきを通った時・・・

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おや?あれは・・

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どうやら白鷺のようです。

通りかかった近所の方も
「何十年とここにお参りしているが初めて見た」そうです。

他に鳥の姿はなく、ただ一羽。
真っ白な姿が深い緑の水面に映えています。

鴻爪と号した前島公が
自身の生前には考えられなかったであろう
郵便配達「婦」を天から鴻(大きな水鳥)
白鷺に姿を変えて見に来たか。

なんにせよここで白鷺に出会えたのは何かの吉兆と
考えることにしましょう。


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blackkings at 15:08│Comments(2)旅行記 

この記事へのコメント

1. Posted by ななし   2017年03月10日 19:08
5 前島公も貴女のことを応援してくださっているでしょう。
白鷺はまさしく吉兆かと。
2. Posted by ななし   2018年10月13日 14:13
旅行の記事を楽しく拝読しています。新しい旅行の記事をリクエストします。
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1531974842/l50

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